肉体と精神が分離したら幾分か楽になるやろうに、と往々にして思う。

そして、分離した状態を楽しめればなおさら。

どれだけ格好つけてるのか。

自立した、誰にも頼らない、寄りかからない私。

それを作り続けて早何年?

誰の何の得にもならぬキャラを通し続けて早数年。

でも、仮に、寂しい、とか、一人じゃ心許ない、とか。

誰に、どんな風に見せれば良いのかわからない。

私自身は、そんな感情をぶつけられるのが嫌だ。

他の人がそういう感情を持つことがある、というのはわかってたとしても。

そういう感情を、助けてーなんとかしてー受け止めてー、と言われたところで、

いやいや、どうせぇっちゅうねん、と思ってしまう。

だから、人に自分のそういう感情は出せない。出したくない。

だって、他の人にしたって同じだろうから。

そういう感情を「そかそか、しゃーないなぁ、かわいいやっちゃなぁ」と言われることは気に食わない。

なぜなら、それは一時的な感情に過ぎない、と思うから。

長くは続かない。

どちらかがどちらかの負の要素をそのまま受け止めるなんて。


それはもう、よく、「曲がってる」「歪んでる」と言われる。

多分そうだろう、と思う。

今日も同期に言われた。

もうちょっと楽になれ、なんでそんなに自分に処罰感情を持つのか、と。

認めるのは避けてきたけど、やっぱり、トラウマ、だろうと。

簡単にトラウマ、の一言で片付けられるようになってるけど、

ほんとに、いろんなことが絡み合って、こういう思考回路になってるんでしょう。

信じるだけ無駄、期待するだけ無駄、何かを与えてもらえると思うな、と。

所詮、人が人を好きになったとしても、

優しくする、大事にする、

そんなもんは自分への見返りを見越して、に過ぎない。

無償の愛、それが成り立ったとしても、

無償の愛を与えてる自分ってかっこいい、

という気持ちから来てる、としか思えない。

見返りを欲さない人間なんていない。

その方がよっぽど自然。信じるに足る。

そう思ってしまう。


悲しい考えでしょう、きっと。

悲しい思考でしょう、たぶん。

でも私は何も信じたくないし、頼りたくない。

その代わりに、その場で目の前にあるものは信じても良いかと思う。

目の前にあるものだけは、信じるに足るかもしれん、と思う。

だから、肉体と精神が分離してくれたら、どれだけ楽やろう、と思う。

肉体と精神が何の記憶も共有せず、何の思惑も共有しない。

そうであれば、どれだけ楽やろうか。

どれだけ肩の荷が下りて暮らせるやろうか。


しばらくは一人で、赴くままにいきたい。

何にも囚われたくないし、何も考えたくない。


周りが結婚・出産を経てきた今、

わたしは私の納得したようにしか、

やっぱり、

生きられない。